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サザンクロスツーリング:第71話
 投稿日 2003年08月04日(木)00時39分

 

 

10/28〜11/10
PERTHに滞在すること約2週間。苦しかったDarwinからの暑さを忘れて、
のんびりゆったり、安宿に居を構えて過ごした。Darwinを出発する時
に見送ってくれたマサさん山下さんも偶然またこのPERTHで合流したし、
安宿で知り合った何人かのヨーロッパ人や日本人も交えて毎日楽しく過ごした。
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<ビザの延長>
ここPERTHでは、ただのんびりしていたわけでもない。
日本で取得した6ヶ月限定のワーキングホリデービザの
延長手続きを行った。今持っているのは5/22〜11/21までの
6ヶ月ビザで、このままだとあと1ヶ月で切れてしまう。

当時誰でも無条件であと6ヶ月延長出来るものではなく、
帰国便チケットのあるなしや残りの資金(預金残高)などで、
それなりに厳しく延長期間が決定されるのだ。

マサさんと一緒にイミグレーションに出向いて、
何やらややこしい書類を書き上げ提出し待つこと数日。
なんとか最大期間の6ヶ月の延長が可能と言い渡されたが、
自分に可能な滞在期間をやけに真面目に申請して、
4ヶ月の延長(翌年3/21まで)を取得した。
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<西オーストラリア州運転免許取得>
PERTHは西オーストラリア州の州都ということもあり、
ここでも一応免許取得を行った。同じ宿の通称「先生」と一緒に、
免許センターに出向いて受験。さすがにAliceSpringsで取得した
時のように簡単ではなく、見事に一度不合格。。。
日をあらためて2度目の受験でなんとかパス!!
「先生」はさすが1発合格だった。先生は福島県で塾の経営を
やっていて、自らも教壇に立つまさに「先生」で、
1年間かけてオーストラリアで「観光ビザで釣りしながら遊ぶ」
ことを目的にやってきた素晴らしい大人物だ。
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<感動の再会>
このPERTHでの最大の目的は、Marionに会うことだった。
PERTHでの目的というか、後で考えるならば、そもそもワーキングホリデー制度での
行き先をオーストラリアに決めたきっかけの一つが、このマリアンという女性なのだ。
念のため先に言っておくと、別にマリアンは僕の恋人でも片思いの女性でもないが、
ある意味特別な思い出の女性なのだ。

話は約1年前の夏、自転車で北海道を旅していた時のことになるが、
旅の途中体調を崩して大雪山麓の層雲峡ユースホステルで2連泊した
ことがあった。ユースの食堂で、若者達がワイワイ食事をしている中、
1人しんみりと御飯を食べている金髪女性がいた。
他の若者達に背を向けてご飯を食べているその女性がやけに寂しそうに見え、
「お箸はうまく使えますか?どこから来たんですか?」
と勇気を出して日本語で話し掛けると、
「コニチワ、オーストラリアカラキマシタ、マリアントイイマス」
と、たどたどしい日本語だが笑顔で答えてくれた。それがマリアンだ。

僕は英語が出来ないし、マリアンもそれほど日本語が話せなかったので
その場は大してそれ以上の盛り上がりもなく終わったのだが、
自転車でユースホステルを出発して上川町の駅に寄った時、
偶然そこでまた電車を待っているマリアンに再会したのだった。
駅の窓口で言葉が通じず、網走までの特急の指定席券が買えなくて
困っていたらしく、僕が代わりに「完璧な日本語」で切符を買ってあげたのだ。
彼女はえらく感謝してくれて、僕達はなんとか「友人」になった。

マリアンは僕が自転車にくくり付けていた「新撰組のハッピ」に
とても興味を示し、「日本の伝統衣装か?」というようなことを聞くので、
伝統衣装と言えるかどうか迷ったが、なんとなくYESと言ったら、
「どこで売ってる?」と聞くので、「もう1着持ってるからあげるよ」
ということで、予備で持っていた色違いのを1着をプレゼントした。
その後僕は入場券を買って駅のホームまで見送りに出た。
特急がホームに入ってくる。彼女はそこで「ハッピ」を着て見せて、
See you again!!と言った。僕も See you again!! と答えた。

以上がマリアンとの出会いだ。これは決してノロケではないが、
自分にとってうれしい大きな出会いの一つであったことは事実だった。

さて前置きが長くなったが、
そのマリアンの出身地がこのPERTHなのだ。
あの出会いの後、一度だけやり取りした手紙で、
「もしかしたらオーストラリアに行くのでまた会おう」
と漠然と書いたのがもう半年ほど前か。

ご存知の通りこちらの住所というのは、何々ストリートの何番地という形式だ。
ところが持ってきた住所録に書いておいたマリアンの住所は、
なんと番地の部分が消えてしまって、ストリート名までしか分からなかった。
ここまで来てるんだ、せっかくだからマリアンに会いたいと思ったので、
仕方なく、そのストリートを端から順番に全部訪ねて聞いていくことにした。

訪ねた家の人すべてが、たどたどしい英語しか話せない怪しい日本人の僕を、
怪しい人物でも見るような目付きでジロジロみて、「ウチにはマリアンという
のはいない」と答えた。そりゃそうだ。街から離れた観光客なんてやって来ない
こんな住宅街で、どう見ても僕は怪しいから。

そうして一軒一軒訪ねて何軒目だったか、家から出てきた女性を見て、
あ!マリアン本人じゃないか?!と思ったが、
考えてみるとはっきりマリアンの顔を思い出せなかった。
すると女性のほうが「Welcome!!!」と言って近付いてきた。
マリアンだ!マリアンは疑いもせず僕が分かったと言ってくれた。
玄関を入ると、真正面の壁に、僕がプレゼントしたハッピが飾ってあった。
前もって来ると伝えてなんかいないのに、この時は感動した。
本当にうれしくて、ちょっと涙が出そうになった。

その後、マリアンが友人数人を呼んでパーティーを開いてくれることになり、
主に日本に興味があって、いわば日本びいきのオージー達とパーティーを
楽しんだ。北海道での偶然の出会いから1年と2ヶ月。再びマリアンと、
そしてその素晴らしい友人達と出会えて、本当に楽しくてうれしかった。
これが、ここPERTHでの一番の僕の思い出となった。
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<オイル交換とアクセル固定装置>
安宿の裏庭で、ユウイチ君と一緒にオイル交換をした。
この時の走行距離は約17000km。暑い地方を走ってきた後だからか、
もうオイルは水みたいにトロトロになっていた。
それと、本当はPERTHにいるうちに、アクセルコントローラーという
商品名で売られている、アクセルを開けたまま固定する便利グッズが
欲しかった。郊外に出るとアクセル開けっ放しで1時間以上なんてのが
当たり前の国なので、簡易的なアクセル固定装置を付けているオージーライダーを
何人か見た。自分も欲しかったのだが、なかなか在庫がなくて入手できなかった。
まぁ無くてもいいものなので、とりあえず忘れることにした。
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ということで、それ以外にも、ビーチに海水浴に行ったり、
フリーマントル港で釣りをしたりしてのんびり過ごしたPERTH。
そういえば「先生」は大陸横断鉄道でPERTHを去っていった。
そろそろ僕も出発だ。季節はだんだんと春から夏に向かっている。

ここからはユウイチ君とミキちゃんとも別れてまた1人で出発だ、
と決めていたのだが、ちょうどDarwinで知り合ってPERTHで再会した
マサさんが同じ日に同じ方向と言うことで、途中まで一緒に行くことになった。

目指すは次の州都アデレード。はるか3000km先だ。

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Perth滞在中
走行
62km
シドニーから(PERTH出発時)
17035km
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